鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

〜家庭内におけるコミュニケーションの重要性と小3時の離人感〜高1で鬱を発症するまでの具体的エピソード②

皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜子供らしくない幼稚園児〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード①」の続きを書かせて頂きます。




前回は「自分は幼稚園時代から性格がとても冷めていて子供らしくなく、そういう所が後のコミュニケーション不全に繋がった」的な話でしたね〜。そう、自分の子供時代は「無邪気さ」の欠片もなかったですからね。「親や友達と無邪気にはしゃいで楽しかった」的な記憶が一切なく、親に甘えた記憶も一切ありません。物心ついた時点で親とのコミュニケーションを諦めていましたから、当然甘える事もできない。そういう「子供の頃に親に全く甘えられなかった」という寂しさって、かなり自分の人生を歪めているような気がするんですよね〜。以前の記事にも書かせて貰いましたが、3歳の頃に発症した喘息はそういう切実な寂しさが産んだ心因性の病気だったと思いますし。(感情表現を辞めた事と喘息の因果関係)そして、家の中で親に対して甘えた経験のない子供が、学校生活において周りの友達に甘えられる訳もなく、それも学校生活における友達とのコミュニケーションが困難だった要因の一つになっていたと思います。人とのコミュニケーションにおいて、「甘えたり、甘えられたり」「頼ったり、頼られたり」する事も重要だと思いますが、自分はそれが全くできませんでしたからね。その流れで言うと、自分は「人に何を相談」するという経験も家の中で積んでいません。ですから当然学校生活においても先生やクラスメートに何かを相談するという行為ができず、高校1年生で鬱を発症し、それがどんなに酷くなっていってもそれを誰かに相談するという選択肢はなかった。そうそう、自分は親に対して「自分はこんなにしんどいんだ!」と自分のしんどさを言葉で表現した記憶がないですからね。家の中でそういう表現を練習した事がない子供が外でそういう表現をぶっつけ本番でできる訳がないという話です。なんというか、「コミュニケーション」って、人が他人と意思疎通していく為に最も重要な手段であり、それは他人が無数に集まる「社会」で生き抜いて行くための「武器」という側面があると思うんですよ。ですが、自分はその「コミュニケーション」という武器を親から与えられる事なく、丸腰で社会に投げ込まれてしまった。これはライオンの親が自分の子供に「狩りの仕方」を教えずにサバンナに放り捨てる事と同じだと思います。




さて、そんな感じで自分の子供時代は子供らしさや無邪気さの欠片もない子供で、子供の頃から鬱々とした子供でした。そう、自分は高校1年生の時に日常的に食欲が一切なくなり、鬱を発症した訳ですが、そこに繋がっていく鬱の種はすでに子供の頃からあったという感じです。高校に入ってからの鬱の症状として「食欲消失」と共に「めまい」があり、大学に入ってからの鬱の症状として「離人感」があるのですが、思い出してみればこの「めまい」や「離人感」に近い症状が小3の頃すでに出ていました。どういう事かと言いますと、当時自分は親に言われてスイミングスクールに通っていたんですが、これがもう嫌で嫌で仕方なかったんですよ。とにかく身体を動かせばすぐに喘息が出てしまい苦しくて仕方なかったですから、運動は超苦手でした。また、水泳をしている時は喘息は出なかったのですが、それでももう身体を動かすという行為自体が辛くて嫌で嫌で仕方なかったのです。その上、時にはスイミングスクールの前日の夜に喘息が出てしまって、その苦しさで一睡もできず、睡眠不足と疲れでフラフラな状況でスイミングスクールに行く事もあった記憶です。先程もお話しましたが、ここでも親に対して「スイミングスクールは嫌だ」と自己表現できない訳ですよ。そして、そんな睡眠不足でフラフラな状態で嫌で嫌で仕方ないスイミングスクールに行くと、もう世の中のなにもかもが物悲しく思えるんですね。すると、なんか自分と現実世界との間に見えない半透明の幕が発生し、自分が現実にいるのか分からなくなってしまう感覚に陥るんです。まるで自分一人が「金魚鉢」の中に入り、そこから「金魚鉢」越しに現実世界を見ているような感覚。金魚鉢の中には水がなみなみと注いであり、その中に入っている自分はその水がとても冷たく、またその金魚鉢越しに見える外の世界はぼんやり歪んでいて、自分にはその外の世界が何が何だか全く理解ができない。そしてそこには得体の知れない不安感もあった記憶です。これってまさに大学時代に出てた「離人感」と一緒ですよね。(大学時代の鬱の諸症状②〜離人感と冷え性〜)現実があまりにも辛過ぎるが故に心が壊れないよう防御反応が起こり、現実感が薄くなってしまう症状。そんな症状が小3の時点で出ていました。まぁ小3の時はスイミングスクール限定の「離人感」でしたが、これが日常的になっていったのが大学時代の「離人感」です。(離人感について詳しく知りたい方はこちらのwikiへ。)





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m







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