鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

〜①中学受験における失言エピソード〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード③

皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜家庭内におけるコミュニケーションの重要性と小3時の離人感〜高1で鬱を発症するまでの具体的エピソード②」の続きを書かせて頂きます。今回の記事から自分の失敗エピソードが始まります。



前回の記事は「家庭内で子供にコミュニケーションの訓練をさせる事はとても重要ですよ〜」って話と、「小学校3年の時点ですでに離人感が出ていた」という話でしたね。そうそう、この「小学校3年生」という時期は自分の鬱人生を語る上でとても重要な時期なんですね。これまで何度も書かせて貰っていますが、この時期にうちの父親が新規で事業を始めまして、そのストレスでただでさえ不安定なうちの父親のメンタルが悪化しましたし、さらにそこに父親方の祖母と弟が、勝手に九州から我々の近所(神奈川)に引っ越してきてしまった事で、うちの父親と母親の夫婦仲も酷い事になってしまったんですね。この勝手に出てきてうちの近所に住み始めてしまった二人をどう扱うかでうちの父親と母親で意見が対立し続け、不毛な喧嘩は10年以上続きました。この間、父親はアルコールに溺れ、行動は荒れ、母親はそんな父親にとても怯えていまして、家の中でいつも泣いていた印象です。まぁホント家の中が「戦争状態」に入ってしまった感じでして、当然そこの子供である自分のメンタルもさらに悪化。喘息は酷くなり、学校は休みがちになりましたし、運動が全く出来ないので、サッカーなどのスポーツを楽しそうにしているクラスメートへの劣等感も発生しました。



さてさて、そんな感じで小3時代の自分は運動は出来ないわ、周りの友達とのコミュニケーションもいまいち取れないわ、そもそも学校自体休みがちだわで、早くも社会不適合な匂いがしてきていた訳ですが、そんなネガティブ要素満載の学校生活の中で、唯一のポジティブ要素がありまして、それは「勉強」です。そう、自分はとにかく大人しく、自分の意見の全くない子供でしたから、その分先生の言う事にはとても従順でして、授業中先生の話をよく聞いていましたから、学校の成績はとても良かったのです。勉強自体はたいしてしていなかったのですが、テストでは100点を連発し、それは嬉しかった記憶です。自分の小学校での生活はネガティブ要素満載でしたが、唯一それだけは誇らしかった。クラスの中での自分のポジションは「運動は全くできないし、学校も休みがちだけど、何故か勉強はできるやつ」って感じだったと思います。



そんな自分は小学校5年生になると、私立中学受験の為の塾に通い始めます。中学受験の塾に通い始めた理由ですが、まず自分自身に「私立中学」に行きたいという願望は全くありませんでした。前述の通り、自分の家庭環境は戦争状態にありましたし、さらに言うと自分は物心ついた頃(3歳)には自己表現や感情表現を一切やめてしまっていますから、「自分」という存在がどういうもののなのかも一切認識でてきていません。ここら辺を少し説明させて貰いますと、当時の自分は「これが好き」とか「これが嫌い」などの「物事の好き嫌い」が一切なかったんですよ。先程書きました通り、自己表現や感情表現を辞めていますから、そういった自分の好き嫌いを表現する事も一切なく、ただただ自分の周りで起きる出来事をうすらぼんやり受容し続ける存在でした。そして、自分の好き嫌いを表現しないと「自分自身が何が好きで何が嫌いな人間なのか」も全く把握できませんから、そうすると「自分はこれが好きだから、将来はこんな人間になっていきたい!」などの明るい夢や希望を持つ事もできません。将来に関して言うと辛うじて「勉強ができるから、公務員にでもなるのかなぁ」などと、うすらぼんやり思っていた程度でした。



ですから自分が中学受験の塾に通い始めた理由は明るい展望があった訳ではなかったですし、また親から「中学受験の塾に行け」と強く言われた記憶もありません。そもそもうちの親は新規事業や例の二人の対応でてんてこ舞いで子供の方を見る余裕は全くなかったですからね。では何故自分が中学受験の塾に通い始めたのかと言うと、それは「勉強ができる事を先生に褒めて貰いたかったから」だと思います。




この「褒められる」事への渇望は当時かなりのものがあった記憶です。もちろん自分は家庭内で親に褒められた記憶は一切ありません。家庭内で自分という存在にスポットライトが当たる事は一切なかったですからね。ただ小学校でテストで良い点数をとると先生は褒めてくれたでしょうから、それが嬉しくてさらに褒めて貰える場所を増やそうと思ったのだと思います。なんというかこの「自分という存在を周りの大人達に認めて貰いたい」という欲求は「喉がカラカラに渇いている時の水への渇望感」と同じくらい本能的で根源的だった記憶です。家庭内で自分という存在は全くもって認知されていませんでしたから、その分外の世界で大人達に自分という存在を認めて貰いたいという欲求はかなり強かったのだと思います。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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