鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

酷くなっていくコミュ障っぷり(1999年4月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「母親に携帯乞食を手伝って貰った話と2つ目の大学の入学後」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が20年ぶりに母親と外出したという話と2つ目の大学の入学後の話しでしたね。そう、2つ目の大学に入学し1ヶ月も経つと入学の高揚感は薄れ、次第に酷いコミュ障や1つ目の大学で3倍に酷くなった鬱の諸症状が出てきた記憶です。(精神年齢の成長が小3で止まるとは?②大学入って鬱が3倍酷くなった話 )2つ目の大学入学に際し、「今度こそ楽しい大学生活を送りたい!」という強い思いがありましたが、クラスの方でも手品サークルの方でも段々と自分はその場から浮いていったように思います。なんかクラスメートやサークルの輪の中に入ると、自分は何を喋っていいやら頭が真っ白になってしまい、緊張するようになっていた記憶です。クラスメート達のほとんどが自分より4歳下にも関わらず、です。んで喋れる事が思い浮かばず、焦って何か喋ろうとすればする程頭は真っ白になり、冷や汗かきまくるわ、赤面するわでボロボロでした。また、周りのクラスメートが何かに笑った時には自分も追随して作り笑顔をしていましたが、その笑顔はとてもぎこちなく、固かった記憶です。今から思うと喋れないなら喋れないで黙ってニコニコ人の話を聞いていれば良かったのだ思いますが、そうするとなんか自分だけがその場で透明人間になってしまい、自分だけが周りから認知されてないような存在になってしまうような感覚がありました。そして、その感覚は自分という存在がこの世の中から消えてなくなりそうで、とても恐ろしい感覚でした。ですからなんとかして何かを喋り自分の存在をアピールしたいのですが、もうなんか「何か喋らねば、何か喋らねば」と焦れば焦る程何も思い浮かんでこないし、例え何か喋れたとしてもその口からは場の空気に全然合っていない不自然な言葉しか出てこず、自分の発言後場の空気は冷たくなっていた記憶です。そもそも自分の精神年齢の成長は小3で止まっていましたから、その時点で周りの18、19歳の人達とは圧倒的な精神年齢差があり、それがさらに焦った状態で精神的に追い込まれれば、より喋れなくなるのは自明の理です。




そうそう、そんな感じで手品サークルの方もどんどん行くのがしんどくなっていきました。先程書かせて貰いましたように、周りのサークル生達ともまともにコミュニケーション取れなかったですし、当然の事ですが、手品って人前に立ってやりますよね。当時の自分は通常のコミュニケーションすら緊張してまともにとれなかった訳で、そんな人間が人前に立って何かをやるなんて緊張にさらに緊張が重なってしまい土台無理な話です。




そういえばあの頃手品サークルの先輩に「〇〇君は何かキャラがないよね」と言われたのが強く印象に残っています。やはり周りから見ても自分は何を考えてるんだか分からず、何か喋ったとしてもそれは場の空気にそぐわず、透明人間のような存在だったのでしょう。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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