皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「尿管結石にのたうち回った1日⑦」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が尿管結石の差し込みにのたうち回った1日が終わったって話でしたね。その翌日、自分は病室のベッドで目を覚ましました。脇腹の方に感覚を移すと、痛みの方は若干残っていましたが、前日のエゲツない差し込みに比べれば大分楽な状態で、安堵した記憶があります。そこで自分はよろつく身体で真っ先に病院の購買に向かい、ノートとペンを買いました。振り返ってみますと、前日の夜8時に自分の身体に尿管結石が発症しまして、そこから様々な出来事が怒涛のごとく起こっていった訳ですが、自分はその出来事の一つ一つをノートに書きたくて仕方がなかったのです。一体自分に何が起こっていたのか、ノートに詳細に書いていき、事態を把握したくてたまりませんでした。また、その出来事により自分の感情がどのように動いたのかも、ノートに書きたくて仕方がなかった。そう、あのあまりにもカオス過ぎる1日を言語化して整理したいという欲求がものすごかったのです。そして、これから先自分はどのように生活していくのか、そこを決める為にもノートに昨晩の尿管結石の一部始終を書く事が必須でした。
また、昨晩の自分は尿管結石のエグ過ぎる差し込みや様々な出来事を経験した訳ですが、その差し込みが収まってくると自分の心の中には「もう2度とあのような差し込みは経験したくない!!」という思いでいっぱいになっていきました。そう、「この先、またあのような酷い差し込みに襲われたらどうしよう!!」という恐怖感が凄まじく湧き起こってきたのです。もうホント自分の心はその恐怖感で完全に支配されていました。そしてノートを書き始めた自分はその気持ちも書いていったのです。
ですからそのノートを書き始めた際の自分の強過ぎるモチベーションはこういうものだったと思います。
「これから先の人生においてもう2度と尿管結石の痛みは経験したくない!!その為にはこの先どのように生活していけば良いのか、昨晩の出来事を振り返り、この先の事を考えてみたい!!」、と。
あの尿管結石の差し込みは自我が崩壊する程の凄まじ過ぎる痛みでしたから、ホントあんな痛みはもう2度とゴメンでした。その為にはこの先の生活をどう変えていくのか、ノートに書いて考えていく作業が必須だったのです。そう、自分の周りには信頼できる相談相手など一人もいませんでしたから、ノートに書いてそれを考える他ありませんでした。振り返ってみますと、自分は1998年に大学でカウンセリングを受け始めて以降、日々の出来事や日々の感情をノートに書く習慣が徐々に出来ていきました。そしてこの頃(2003年)になると、この習慣は自分にとって欠かせないものなっていまして、それはもはや「第2のカウンセリング」であり、「セルフカウンセリング」と呼んでも良いほどでした。そうそう、2003年の3月に自分は2つ目の古本屋を辞めたのですが、そこを辞めた理由にもこのノートを書く作業が深く関わっていたという話を以前させて貰いました。自分はバイトから帰るとバイトで起こった出来事を詳細にノートに書いていたのですが、メンタルがやられていくにつれ、ノートを書く時間が3時間、4時間とどんどん長くなっていったんですね。そして、それにより睡眠時間が無くなってしまったという話でした。(2店舗目の古本屋を辞めるまで(2002年4月〜・26歳))それ程「自分」と「ノートを書くという作業」は密接になっていたのです。いわば「ノート依存症」と言ってもいいかもしれません。ですから、尿管結石により前代未聞の痛みと差し込みを味わった自分がノートに救いを求めるのは当然の流れでした。そして、尿管結石以降は、大学で6年以上受け続けていたカウンセリングよりも、こちらのノートによるセルフカウンセリングの方が自分にとって重要になっていきました。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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