皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングにより自分の中に感想と感動が発生②(2004年10月頃・28歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は大学時代の自分がカウンセリングを受け始める事で「感想」や「感動」を感じるようになったという話でした。自分はカウンセリングの受ける中で「自分とはどういう人間で、どのような人生を送ってきた人間なのか」を少しずつ理解していきましたから、そこで出来てきた「自分の人生」と「創作物で描かれる他人の人生」を比較する事が出来るようになった、という事になります。続いて、その2つを比較する中から感想や感動が産まれてきた、と。そして、その感想や感動をノートに書いていったんですね。これは小学校時代の国語の時間の自分の姿と比べると驚くべき変化でした。あの頃の自分はどんなに本を読んでも1ミリも心が動きませんでしたから、先生に感想文を書く様に言われてもホントに苦労したのです。ですから、自分は2000年4月に2つ目の大学を休学したのですが、その1年間で本や映画を見まくりまして、その感想をノートに書きまくりました。小説は三浦綾子、村上龍、曽野綾子、東野圭吾などを読みまくっていましたし、映画もビューティフルマインドとかアメリカンビューティとか色々見た記憶です。自分にとってこの変化はとても大きいものでした。当時の自分は「これでもしかしたら大学での人間関係が上手くいくようになるかも」と期待したんですよ。何かに対する感想や感動を共有する事で、周りの学生と仲良くなれるのではないかと思ったのです。しかし、目論見は全く外れ、休学明けに和楽器サークルに入ったものの自分はいつも超緊張している状態で頭の中はテンパりまくりで、冷や汗かきまくり。そんな状態で周りの学生とコミュニケーションが全く取れるはずもなく、1年後またも自分は大学を休学する事になりました。あれもなかなか悲しい結末でしたねぇ。「感動を共有する」という目の付け所は悪くなかったと思うのですが、いかんせん自分の鬱は酷くなり過ぎていました。もはやそういう次元ではどうにもならないレベルまで自分の心身は壊れてしまっていたのです。
さて、話は元に戻ります。自分の精神年齢の成長が小学校3年生で止まってしまったという話でした。そう、年齢を重ねて行っても、自分の中に学校生活、家庭生活における経験がまるで積み重なって行かなかったですし、自己認識のレベルも小学校3年生で止まったまんまだったのです。身体だけは大きくなっていきましたが、精神年齢は小学校3年生で止まっていました。自分は記憶のサルベージの初期で「自分の精神年齢の成長は小学校3年生で止まっていたのでは?」という仮説を思い付きました。しかし思い付いてはみたものの、当初はこの仮説を認めたくない気持ちがかなりあったんですよ。だってその時点では自分も人並みの人生を28年間まで生きてきたと思っていましたし、自分の人生を良くしようと必死に頑張ってきたという自負もありましたからね。それが実は小学校3年生で精神年齢が止まっていたなんて、こんなに認めたくない話はありません。ところがその後過去の記憶を言語化していけばいく程この仮説の正しさが証明されていったのです。そう、何故20年以上に渡って自分は人間関係に挫折し続けたのか、その理由がこの仮説で説明できてしまう事が徐々に明らかになっていきました。それは自分にとってとても悲しい事でした。鬱を悪化させながら悪戦苦闘していた自分の精神年齢が実は小学校3年生で止まっていたなんて。しかし、一方で自分は謎が解けていく喜びも感じていたのです。「なるほどな〜〜〜!確かに自分の精神年齢が小3で止まっていたと考えると、これまでの全ての鬱的事象がキレイに説明できてしまう!!」、と。数学的に言うと一つの「解」を見つけたという所でしょうか。この「解」によってこれまでの事が余りにもキレイに説明できてしまうものですから、自分はこの仮説を認めざるを得なくなったのです。「そうか〜、俺の精神年齢は小3で止まっていたのか〜〜!」、と。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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