鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の人生をぼっとん便所で例えてみる(2007年10月・32歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 母親と喋るという決断を下すまでの3つの伏線(2007年10月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がとある選択を下すまでの経緯を改めて考えてみました。その選択とは、「犬の吠え声で苦しくて堪らない気持ちを母親に理解させる為に、自分のこれまでの31年間の歴史を全て母親に喋ってみる」、です。自分は2週間に渡ってノートに自分の気持ちや状況を書きまくりまして、「首吊り」か「母親に喋る」か、自問自答を繰り返し続けました。その結果、「首吊り」ではなく、「母親に喋る」という選択肢を選んだ、という事になります。あれはホントにギリギリの決断でしたねぇ。そして、翌日自分は意を決して母親に喋りかけました。とりあえず自分が現在犬の吠え声に苦しみまくっているという話をしました。しかし、やはりそれだけでは自分の苦しみが1/100も伝わった気がしません。そこで自分は何故これほどまでに犬の吠え声に苦しむ事になったのか、その理由を喋り始めたのです。そう、自分の人生がいかに酷い人生だったのかを喋り始めたのでした。




そして、確か自分はこの時にこの例えを母親に喋ったと思います。それは「ぼっとん便所」を使った例えです。ここから汚い表現を使いますがご了承下さい。自分の人生がいかに孤独と恐怖と挫折と汚辱にまみれたものだったのか、例えるにはこれを使うのが一番しっくりくるのです。そう、「ぼっとん便所」って若い世代では知らない方もいるかもしれません。自分達の世代ではまたまだ周りに存在していたものですが、「汲み取り式の便所」、の事です。水洗式ではなく、便所の下に穴があって、そこに汚物が溜まるタイプの便所です。自分の引きこもるまでの28年間の人生を例えるとするなら、このぼっとん便所の下の穴をひたすら汚物にまみれて這いずり回っていたような人生なんですよ。そう、家庭環境のせいで精神年齢の成長が小学校3年生で止まってしまった結果、ホントただただ孤独と恐怖と挫折と汚辱しかない人生でしたからね。高校1年生で鬱を発症し、身体と心がただただぶっ壊れて行くだけの28年間でした。そして、自分は1年間の引きこもりを終え、カウンセリング&パチンコ生活を始めますが、またしても親の言い出した引っ越しによってこの生活を滅茶苦茶に破壊され、再び引きこもる事になりました。さらに「花粉症発症→ぎっくり腰事件」も発生しました。この引きこもり明けのさらなる転落生活、自分はこの生活をこう表現したいのです。「ぼっとん便所の下の穴をひたすら汚物にまみれて這いずり回り、さらにそこの汚物を食べて生きているような人生」、と。そう、「引っ越し」と「東○荘事件」と「花粉症発症→ぎっくり腰事件」、この3つで自分は「鬱の廃人」+「鬱の狂人」以上に酷い状態に陥りました。その時の自分を何かをに例えるとするならこういう例えになります。ですから、自分は母親にこの例えをどこかで喋った記憶です。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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