皆さんこんにちは、スキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 人生の中で自己矛盾を起こしていた時期を振り返ってみる(2007年12月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が「両価的」だった時期について書いていきました。「両価的」の意味は「相反する2つの価値基準が自分の中にある事」、だそうです。いわゆる「自己矛盾」ですね。両価性の詳しい意味はこちら→https://kagaku-jiten.com/abnormal-psychology/ambivalence.html
前回の記事に書きました通り、2007年の11月から自分は母親と喋り始めた訳ですが、まずはこの時の自分が両価的だったな、という感じです。この時の自分は以下の2つの気持ちに引き裂かれていたのです。
・自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在。そんな母親と喋る事なんて絶対にあり得ない。
・自分の人生を母親に喋りたい!!
自分の人生の中には両価的な場面が多々あるのですが、この時の自己矛盾は今までの集大成的な自己矛盾だったな、と思います。次に「引きこもりに至る経緯」においても自分は引き裂かれていました。自分は2004年9月(28歳)に全ての社会生活と家族から完全脱落し部屋に引きこもる事になったのですが、その経緯も綺麗に2つに引き裂かれていたのです。以下その2つの経緯になります。
・学校生活で周りとコミュニケーションが取れず、心身が壊れて行った結果、社会生活と家族から完全脱落。結果「引きこもらざるを得なかった」
・大学でカウンセリングを6年間受けた続けた結果、ノートを使ったセルフカウンセリングが出来る様になっていた。すると、自分の中に『セルフカウンセリング技術を使って自分の「過去」を全て言語化してみたい』、という激しい欲求が発生。それに専念する為に「自分の意志で引きこもった」
このように自分の中には「引きこもらざるを得なかった」という気持ちと「自分の意志で引きこもった」という気持ちが真っ向から対立していたんですね。まさに「自己矛盾」を起こしていたと思います。そして、自分は1年間の引きこもりを経て、外の世界に戻る事になりました。ただ、その引きこもりの1年間をどう評価するのか、これに関しても自分の中で評価が分かれていたのです。1つ目の評価に関してはこれまでこのブログで何回も書いてきています通り、「あの1年間で自分は劇的に生まれ変わったのだ!!」という評価です。そう、自分はあの1年間で自分の過去の記憶を全て言語化し、その因果関係を全て繋いでいきました。その結果自尊心を大幅に回復させる事に成功していたのです。これに関しては最大級にポジティブな評価をしたい気持ちがありましたね。あの1年間も自分の心身は病みまくっていましたから、その肉体的・精神的苦痛に耐えてよく記憶のサルベージを完遂したな、という気持ちもありました。(記憶のサルベージとは、自分が28歳の時に行っていたノートを使ったセルフカウンセリングの事です。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。ノートによるセルフカウンセリング⇒記憶のサルベージ(2004年4月頃・28歳))
そして、2つ目の評価ですが、あの1年間は本当に大変な1年間だった、という評価です。そう、自分は全ての社会生活と家族から脱落して、記憶のサルベージ(言語化)に臨んでいましたから、それまでに蓄積しまくっていた「孤独感」が半端無く、鬱で心身がぶっ壊れた状態でそれに臨んでいたのです。自分は高校1年生の時に鬱を発症したのですが、それは1つ目の大学の3年間でさらに3倍に悪化する事となりました。その時の鬱の症状は以下の通りです。
「大学空手部時代の鬱の諸症状」
・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
・離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎
そして、これらの諸症状は2つ目の大学生活と尿管結石によりさらに2倍に悪化。その1年後、自分は部屋に引きこもり、記憶のサルベージを始めたのでした。(28歳)まぁですから、記憶のサルベージ中の自分の体調はアホみたいに不安定で、常に酷い風邪を引いている状態でした。冷え性がエグかったですから、風呂に入っただけでも風邪を引いてしまうんですよ。ですから、お風呂には全く入らなくなり、髪を洗う頻度が2ヶ月にいっぺんくらいにまで激減していました。まぁどうせ外に出ないんで髪が臭かろうが知ったこっちゃありません。そして、ベットに入って仮眠を1〜2時間取るも、その後意識は覚醒したけど、まぶたや身体が重くてそこからさらに1〜2時間起きれない、という状態も頻発していました。ここから自分がマグマダイブと呼んでいた「汗出し行為」に繋がる事もしばしばでしたね。マグマダイブに関してはこちらの記事をお読み下さい。(マグマダイブ(2004年9月頃・28歳))
加えて、これまで書いていますように当時から自分は「音」への病的な怯えが酷かったのです。引きこもりの1年くらい前から自分の睡眠が「妹の出すドア音」で妨害される事が続き、自分はそのドア音に対してどんどん病的に怯えていきました。そして、病的に憎んでもいたのです。いわゆる「予期不安(予期憎悪)」です。そして、徐々にその怯えの対象は「音全般」に広がっていき、自分は周りの何気ない生活音にまで怯え始めたのでした。そう、それらの生活音は耳栓をすればほとんど聞こえなくなる音であり、自分の睡眠を脅かす可能性はほぼ無いのにも関わらず、です。
さらに自分はこの引きこもりの1年間において誰ともコミュニケーションを取る事がありませんでしたから、「孤独感」も半端無い事になっていました。そして、その不安感は家族に対する憎しみという形で発露していたと思うのです。そう、この時自分以外の家族3人(両親・妹) は、常にコミュニケーションを取っており、特にこの時期は妹が大学受験を始めていましたから、それに向けて両親がサポートしているような状況でした。自分はそれがムカついて仕方が無かったのを覚えています。自分がたった独りでひたすら思い出したくも無い過去のトラウマと向き合っているというのに、妹の方は両親のサポートを受けての大学受験ですからね。この環境の違いに対して、自分ははらわたが煮え繰り返っていた記憶です。自分は家族を「殺したい」程憎んでいました。ですから、自分はこの3人がコミュニケーションを取っているような気配を感じると、気が狂いそうになり、奇声を上げたり、床をガンガン踏んだりしていた記憶です。自分が両親に対して憎しみを抱いていく過程についてはこちらの記事をお読み下さい。(何故両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱くに至ったのか(2006年8月頃・30歳))
とまぁこのようにあの引きこもりの1年間はホントに気が狂った1年間でもあったのです。そして、1年間の記憶のサルベージ(言語化)の結果、自分は自尊心を大幅に回復させたものの、上記の鬱の諸症状は全く改善されませんでしたし、家族に対する「殺したい」程の憎しみも全く減る事がありませんでした。ですから、この1年間の評価も真っ二つに分かれているんですよ。こんな感じです。
・引きこもりの1年間は素晴らしい1年間だった。この1年間で自分は自分に対する自尊心を劇的に回復させる事が出来た。
・引きこもりの1年間は気が狂った1年間だった。鬱の諸症状は全く改善しなかったし、家族に対する「殺したい」程の憎悪もそのまま残った。
う〜ん、両価的。次回の記事でもこの「両価的」な時期について書いてみたいと思います。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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