鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部を辞めれなかった理由(過去編・1995年〜1998年・19歳〜22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「大学空手部時代の離人感(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、大学空手部時代の「離人感」について書かせて貰いました。その感覚は大学の授業が終わり放課後になると現れます。放課後に入ると後1時間で空手部の稽古が始まってしまいますので、どんどん高まってきた恐怖感はここがピークです。また、前夜全く眠れていない状態で授業を受け続けてきましたので、慢性的疲労感と眠気もここがピーク。恐怖感と慢性的な疲労感と眠気、これらによる精神的苦痛量は莫大なものとなり、もはや自分の心は耐えられません。すると、なんかこう自分の視界に半透明な幕が降りてきて、現実感が半分くらい無くなってしまうのです。そう、心の中の半分が「自分であって自分でないような感覚」なんですよね。それは決して心地よい感覚ではありません。むしろ、めまいのとても気持ち悪い感覚に似ています。そして、心の中の残りの半分は人間サンドバッグへの恐怖でのたうち回っているのです。さらに慢性的な疲労感と眠気も辛くて仕方ない。このように放課後になると自分の心身は絶望的な状態に陥っていました。とてもここから空手部のハードな稽古が出来るような状態ではありません。ですから、自分は月2、3回くらいは空手部の練習をサボっていた記憶です。空手部の同輩を捕まえて、「今日は体調が悪いから先輩に伝えて」って頼んでいたような。そういう日はかなりホッとしていた記憶があります。なんせ人間サンドバッグの死の恐怖からの解放ですから、解放感が半端ありません。ただし、そうそう練習をサボる訳にも行かなかった記憶です。何故なら空手部の練習を休む事への罪悪感も半端無かったからです。




そう、この空手部をサボった際の罪悪感についてですが、まずは先輩や同輩が稽古を頑張っている中、自分だけが空手部のキツい練習から逃げているという罪悪感がありました。そして、自分自身への罪悪感もあったのです。これはどういう事かと言いますと、自分がこの空手部に入部したそもそもの「動機」に原因があります。そう、自分はこの大学空手部に「自分を変える為」に入部していました。高校時代の自分は周りと全くコミュニケーションが取れなくなり、健康状態も悪化し、無惨な3年間を過ごしてしまっていたんですね。高校1年生の時の暴言事件が原因で鬱を発症してしまいました。当時の鬱の諸症状は以下の通りになります。



「高校時代の鬱の諸症状」


・食欲の完全消失

・日曜夜ごとの激しい喘息

・慢性的な疲労感と眠気

・学校生活中の激しいめまい



そして、自分の精神年齢の成長は小学校3年生で止まっていましたから、学年が進むにつれて周りとの精神年齢差がどんどん開いていきました。その結果周囲の空気が全く読めず、失言暴言を繰り返し、その精神的ダメージが鬱発症へと繋がっていったのです。これにより自分は自分に対する自信を完全に失ってしまいました。誰と何を喋って良いのか全く分からないのです。故に自分はクラスでも部活でも透明人間のような状態で3年間を過ごす事となったのです。ですから、自分は空手部に入部する事で自分に自信を持てるようになりたかったのです。そして、自分に自信が持てれば、コミュニケーション能力も向上するだろうとも思っていました。




では何故「空手部」だったのかと言いますと、それまでの自分は運動というものを避けて生きてきました。幼い頃に喘息を発症し、とても運動を出来るような状態ではなかったからです。ですから中学、高校と吹奏楽部で過ごしていたのですが、先程も書きました通り高校時代の自分は周りと全くコミュニケーションが取れず、健康状態も悪化しただけの暗黒の3年間を過ごす事となってしまいました。ですから、自分はこの失敗を繰り返さない為に、あえてこれまで避けてきた「運動」にチャレンジしてみようと思ったのです。いわゆる「荒療治」というやつです。また、自分が過ごしてきた小学校、中学、高校のクラスではいわゆる「体育会系」のクラスメイトがクラスを仕切っていまして、とても楽しそうに学生生活を送っているように見えました。今でいう所の「スクールカースト」ってやつですね。ですから、自分は彼らのようになりたくて「運動」をやってみたかった、という側面もありました。そして、当時の自分はプロレスや格闘技を見る事が好きでしたから、空手部に入ろうと思ったのでした。




こんな感じで自分はこの大学空手部に「自分を変える為」に入部したのです。ですから、どんなに辛くても空手部を休むという選択肢は取り辛い所がありました。そう、空手部の辛い練習から逃げる訳には行かないのです。何故なら逃げたら、自分を変える事は出来ず、また暗黒の高校時代の繰り返しになってしまいます。このような論法でしたから「空手部を辞める」という選択肢など考えもしません。どんなに辛くても空手部を3年間耐え抜けば、それが自分の自信になるのではないかと考えていたのです。それは強迫観念のようでしたね。ですから自分は「離人感」を発症する程空手部に対して恐怖感を感じていたのですが、必死にその離人感に耐え、3年間の空手部生活を全うしてしまったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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