皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「懲りずに自動車学校に通い出す(過去編・1998年10月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分がファミレスバイトに行く気力を無くした、という話でした。そして、その次に自動車教習所に通う事にした、という話でした。そう、自分は今後ファミレスバイトのシフト減らしていくつもりでしたから、そうなると空いた時間が出来ます。この時間に自動車教習所に行こうと思ったのです。しかし、当時の自分は「鬱の廃人」状態です。自分は9個の鬱の諸症状に苦しみ続けていました。以下いつものコピペになります。
「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」
①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)
❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。
⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。
⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。
⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。
上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「トレーニング」をやってみたくなってしまった。
❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。
「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」
この体力を生かすべくトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)
しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。
おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調
『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』
そもそもこんな鬱状態でファミレスで働く事自体が到底無理だったのです。ですから、ファミレスバイト中の自分の体調はこんな感じです。過去記事からの引用になります。
『(バイト中の自分は、)お皿を持って移動している時にも酷いめまいが起こって危なかったですし、慢性的な背中の疲労感もとても酷く、それは疲労感というよりもはや激痛でした。「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」です。そして、冷え性も酷く、体温調節がぐちゃぐちゃの中で働いていましたからね。暑いんだか、寒いんだか、訳わかりません。自分の頭の中はこれらの精神的苦痛に占領されており、集中力や記憶力がほとんどありません。まぁ最初に教えて貰った中華料理の作り方だけは辛うじてこなせていましたが、それ以外の仕事はグダグダのグダグダ。』
鬱の諸症状の中でも特に酷かったのが、背中の疲労感です。あれはもはや疲労感ではなく激痛でしたからね。上にも書いていますが、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」です。自分の頭の中には常にこんな激痛が走っており、その激痛のせいで他の事に神経を使う余裕など全くありません。ですから、新しいレシピが全く頭の中に入ってきませんでした。また、こんな状態では周りとのコミュニケーションもグダグダです。この激痛の中で周りとコミュニケーションを取る余裕など全くありません。もちろんこの時コミュニケーションが全く取れなかった理由としましては、「精神年齢の成長が小学校3年生で止まっている」もとても大きかった訳ですが。
自分はこのような「鬱の廃人」状態でファミレスで働いていました。全く仕事ぶりがグダグダでしたし、人間関係もグダグダ。挙げ句の果てにあの大失敗で、完全に心が折れてしまいました。しかし、自分は全く懲りません。自分は喉から手が出る程自分の居場所を求めていたのです。次に自分は自動車教習所に行く事を思い付きました。自分はこの時22歳でしたから、そろそろ自動車免許でも取っておいた方が良いと思ったのです。そして、父親からお金を30万くらいを貰い、近所の自動車学校に通い始めました。ただね〜、結局は同じ事の繰り返しなんですよ。自分は上記のような鬱の廃人です。自動車学校に行ったって、ファミレスバイトと同じように背中を激痛が襲ってくるのです。そして、その激痛が自分の意識から集中力と意欲を根こそぎ奪っていく所も全く一緒。また冷え性が酷くて、鼻水が止まらないのも一緒です。そして、教習所にいる時にめまいが頻発している所も全く一緒。こんな滅茶苦茶な体調で車の運転が上達するはずがありません。
そう、自分はどんなに自動車を運転しても全く運転技術の上達を感じる事が出来ませんでした。その原因はもちろん上記の滅茶苦茶な体調にあります。加えてわ自分はコミュニケーション能力も壊れていますからね。教習所の技能教習では、自分が運転する車に先生が同乗して色々アドバイスをくれるのですが、自分は先生達ともまともにコミュニケーションが取れません。質問をしようにも、自分が何が出来なくて、何が分かってないのかが全く把握できていませんから、何も質問を思い付かないのです。また、稀に質問を思い付いたとしても「こんな事を言ったら先生に変に思われるかな、、」とビビってしまい、何も聞く事が出来ません。う〜ん、詰んでますね。
結局自分はこの自動車学校に2ヶ月くらい通った所で、行く気力を失ってしまいました。そして、その後休学です。(大学4年生の11月頃)自分はすでに大学を休学していましたが、加えて自動車学校も休学する事になったのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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