皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 自殺願望だけが支えの空手部生活(過去編・1995年4月・19歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が大学時代に空手部の稽古に追い込まれ、その恐怖で夜眠れなくなっていった、という話でした。そして、睡眠不足で鬱が更に悪化していった結果、自殺願望を発症した、という話でした。自分が夜眠れなくなっていった経緯をフローチャートで示すと以下の通りになります。
大学空手部に入部
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半年後、稽古の中で「人間サンドバッグ」という稽古が行われ、そこで先輩達にかなり心肺機能を追い込まれる
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人間サンドバッグの厳しさを乗り越える為に自主練を始める。
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自主練の翌日に体調をぶっ壊すばかりで全く体力が付いた実感を得られない。そして、当時の自分はその理由が全く分からなかった。
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自主練から2〜3日経ち、少し体調が戻ると、また懲りずに自主練をしてしまう。しかし、やはり翌日体調をぶっ壊すばかり。
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この流れを繰り返しているうちに自分の中に「無力感」がどんどん増大していく。
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「無力感」が増えていく程、「自分に対する自信」はさらに失われ、「被害妄想」が増大。
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被害妄想がさらに増えていった結果、稽古の前夜、ベッドの中に入ると次のような「被害妄想的な予期不安」に襲われるようになる。
「明日の稽古で人間サンドバッグが行われるかもしれない。自分はそこで先輩に追い込まれて殺されるかもしれない」。
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上記の予期不安は凄まじい恐怖感を発生させ、ベッドに入っても全く眠れない。
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そんな日々が1年続いた結果、鬱が3倍に悪化
このように自分は空手部の恐怖で夜眠れなくなり、大学2年生の夏頃には鬱が3倍に悪化してしていました。この時の鬱の諸症状は以下の通りになります。
「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」
①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)
おまけ①:空手部の稽古中の様子
『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)
おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら
おまけ③:自主練翌日の体調
『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』
このように自分の鬱は3倍に悪化してしまい、日々の生活の中で自殺願望を感じるようになっていきました。とにかく大学生活が辛くて辛くて仕方なかったのです。背中の慢性的な疲労感は「ナイフで刺され続けているような激痛」に悪化していましたし、もちろん慢性的な眠気もめまいも酷い状態でした。自分は高校時代にもそれらの苦痛で意識朦朧としていましたが、大学時代はそれがさらに3倍酷くなった印象です。
そして、前回の記事に書きましたように、加えてキツかったのは、この空手部の日々が遅々として全く進んでいかないという事でした。空手部は大学3年生の3月になると引退なのですが、そこまでの3年間が絶望的に長かったのです。自分の中にはどんなに辛くても「空手部を引退する」という選択肢はありませんでしたから、自分は大学3年生の3月まで空手部の死の恐怖にただひたすら耐えるしか無かったのです。
しかし、空手部の恐怖の中で過ごす毎日は、ホントにゆっくりとしか進みませんでした。空手部の3年間が永遠に終わらないかのような、そんな感覚に囚われる事も珍しくありませんでした。以前の記事に書きましたが、それはまるで「日本列島を匍匐前進で鹿児島から北海道まで縦断」するくらいの途方の無さがありました。自分はそんな遅々として進まない時間にも「無力感」を感じていた記憶です。
このような「時間の進まなさに対する無力感」も、自分が鬱を悪化させ、自殺願望を発症する一つの要因になっていたと思います。
という訳で、先程貼りました「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」 のコピペ。これに12番を付け加えたいと思います。12はこんな感じです。
12 空手部を辞めるという選択肢が全く無い中、引退までの3年間をただただ耐えるしか無い。しかし、①〜11の諸症状に苦しみながらの空手部の日々は全くもって遅々として進まない。それは例えるなら「匍匐前進で鹿児島から北海道まで縦断する」くらいの途方の無さ。自分はその時間の進まなさに何度も絶望し、無力感を感じていた。
いいですね!よくまとまりました。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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