鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

大学でカウンセリングを受け始めるも、鬱の辛さを全く言語化出来ない(過去編・1997年3月・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部引退までの3年間が絶望的に長い(過去編・1995年4月・19歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が大学空手部の遅々として進まない日々に絶望していた、という話でした。自分は大学空手部のとある稽古メニューに、殺される程の恐怖を感じるようになっていました。そして、その眠れない日々は遅々として進まず、「3年間」という長さが永遠に終わらないかのような絶望感を感じていたのです。ではここで、自分が空手部において、どのように鬱を悪化させていったのか、フローチャートを貼りたいと思います。



大学空手部に入部

半年後、稽古の中で「人間サンドバッグ」という稽古が行われ、そこで先輩達にかなり心肺機能を追い込まれる

人間サンドバッグの厳しさを乗り越える為に自主練を始める。


自主練の翌日に体調をぶっ壊すばかりで全く体力が付いた実感を得られない。そして、当時の自分はその理由が全く分からなかった。



自主練から2〜3日経ち、少し体調が戻ると、また懲りずに自主練をしてしまう。しかし、やはり翌日体調をぶっ壊すばかり。



この流れを繰り返しているうちに自分の中に「無力感」がどんどん増大していく。



「無力感」が増えていく程、「自分に対する自信」はさらに失われ、「被害妄想」が増大。


被害妄想がさらに増えていった結果、稽古の前夜、ベッドの中に入ると次のような「被害妄想的な予期不安」に襲われるようになる。
「明日の稽古で人間サンドバッグが行われるかもしれない。自分はそこで先輩に追い込まれて殺されるかもしれない」。



上記の予期不安は凄まじい恐怖感を発生させ、ベッドに入っても全く眠れない。

そんな日々が1年続いた結果、鬱が3倍に悪化




そして、3倍に悪化した後の鬱の諸症状が以下の通りになります。



「大学空手部時代の12個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑨慢性的な口内炎

10空手部の稽古中の喘息

11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)

12 「空手部を辞める」という選択肢が全く無い中、引退までの3年間をただただ耐えるしか無い。しかし、①〜11の諸症状に苦しみながらの空手部の日々は全くもって遅々として進まなかった。それは例えるなら「匍匐前進で日本列島を縦断する」くらいの途方の無さ。自分は時間の進まなさに何度も絶望し、無力感を募らせていった。



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら


おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』



いいですね!よくまとまりました。素晴らしい。このように自分は空手部の3年間で鬱を3倍に悪化してしまいました。そして、このブログでは何度も書いていますが、大学3年生の4月頃から大学内でカウンセリングを受け始めたのです。そして、その初回で大号泣して、90分間何も喋れなかった、という話も何度も書いています。また、当時の自分は自己表現能力が皆無でしたから、上記の鬱の諸症状の辛さをほとんど説明出来ませんでした。




ただ、そんな状態でも当時の自分がお喋りできた事もありました。それは「自分が空手部で副部長になったものの、全く副部長らしく振る舞うことが出来ない」、です。これが自分がカウンセリングで最初に喋った話です。



振り返ってみますと、このブログの最近の記事において、自分が中学、高校時代の吹奏楽部で全く先輩らしく振る舞えなかった、という話をしてきました。中学時代は後輩のKさんと1年間冷戦状態が続きましたし、高校時代でもホルンパートでの自己紹介で後輩をドン引きさせましたからね。これらの話と先程の空手部の話は、そのまま直結する話です。そう、自分は幼い頃から日々の出来事や感情を全く言語化せずに成長していきました。自分は物心ついた頃に両親に対して自己表現する事を諦めていましたし、両親もそんな自分に全く無関心でした。ですから、日々の出来事や感情が全く自分の中に蓄積していかなかったのです。故に中学、高校、大学と、部活における経験やノウハウも全く蓄積していかず、結果中学以降後輩が出来た時にホントに困ってしまった、という話になります。



しかし、自分は大学3年生で受け始めたカウンセリングの中で、生まれて初めて「自己表現」「自己開示」を学んでいきました。受け初めの頃は一言喋っては10〜15分黙るという事もザラでしたが、それでもほんの少しずつ「自己表現」の訓練をしていきました。そう、自分はカウンセリングの中で「安心して素直に喋る」という経験を少しずつ積み上げていったのです。しかし、それで上記の鬱の諸症状が改善される事は全くありませんでした。何故なら当時の自分はこれらの鬱の諸症状をほとんど認識出来ていなかったからです。そして、認識出来ていませんでしたから、カウンセリングで喋る事もほとんど出来ませんでした。




自分は幼い頃から家庭内で自己表現を全くしてきていませんでしたから、そのうちに自分の健康状態さえ把握出来なくなっていました。ですから、中学、高校、大学と鬱によってどんどん自分の身体が壊れていっている事にも全く気付けなかったのです。気付けていないのですから、カウンセリングで喋れるはずがありません。そして、喋れなければ状況を整理し、対策を考える事も出来ません。ですから、自分はカウンセリングを受け始めてからも上記の鬱の諸症状が全く改善されず、それに苦しみ続ける事になったのでした。




ちなみに自分が上記の鬱の諸症状を初めて認識出来たのは、それから7年後の事です。自分は28歳の時に、全ての社会生活、家族関係から完全脱落し、部屋に引きこもる事になりました。そこでこれまでの全ての記憶をノートに書き出していったのですが、そこで初めて自分が高校時代から鬱状態に陥っていた事に気付いたのです。あれは目から鱗でしたね。「あれ??高校時代から食欲が消失してるってよく考えたら人間としておかしくない???」、とw




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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