鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部引退後も自主練を続けてしまった理由②(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 空手部引退後も自主練を続けてしまった理由(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学空手部引退後も自主練を続けてしまった、という話でした。そもそも自分が自主練を始めた目的は「身体を鍛えて体力をつけて、空手部のとある練習メニュー(人間サンドバッグ)の恐怖を乗り越える」でした。自主練の内容はランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで1時間程度のトレーニングです。(稽古のある時期は週1回、夏休み・冬休み中は週3回)しかし、自主練を重ねても重ねても、翌日に体調を滅茶苦茶壊すばかりで、一向に体力が付いた実感を得られません。自分の心の中にはすごい勢いで「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、心が弱っていきました。(自主練の詳しい話はこちら→ 大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)そして、心が弱っていけばいく程、逆に「恐怖感」は凄まじい勢いで増大していき、大学2年生の夏頃にはそれは「殺される」程の恐怖となっていたのです。




そう、自分は自主練によって自ら「恐怖感」を増大させていました。自分が大学1年生の夏に感じた人間サンドバッグの恐怖を「1」とすると、それは2年生の夏頃には「10」にまで増大していた印象です。この「10」の恐怖が「殺される」程の恐怖です。つまり、自分は最初は「1」だった恐怖感を自主練によって「10」にまで増やしてしまったのです。10倍にさせてしまった、と。そして、厄介な事に当時の自分はこの悪魔のからくりに全く気付いていません。まさか自分が自主練を繰り返せば繰り返す程、心身が衰弱していき、人間サンドバッグの恐怖が増大していってるとは夢にも思っていないのです。それどころか、逆に恐怖心が増えれば増えるほど、「自主練をして自分を鍛えなければ!!!」と、より自主練への意欲が強化されていた印象すらあります。う〜ん、鬱のドミノ倒し。こんな「無意識の自殺行為」を自分は2年以上に渡って続けてしまったのです。その結果、高校時代に発症していた鬱は3倍に悪化。以下の11の諸症状を併発する状態に陥りました。いつものコピペになります。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をドライバーで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら

おまけ③:自主練翌日の体調

自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。



ま、「鬱の廃人」ですね。このように自主練は自分にとって害悪でしか無かった訳ですが、自分は空手部を引退した後もこの自主練を続けてしまいました。それは前回の記事でも書きました通り、自分が空手部引退後に感じた「開放感」に原因があります。そう、自分は空手部を引退した事でかなりの開放感を感じたんですね。その理由は以下の3つになります。


①死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


②空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


③この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。



上記の3つの理由で嬉しくなってしまった自分は「空手部の恐怖」が無い状態での「自主練」をやってみたくなってしまいました。そう、ここまで来ても当時の自分は、自主練によって自分の心身が滅茶苦茶に壊れていった事に気付いていないのです。相変わらず「自主練=身体を鍛える=良い事」と思い込んでいます。さらに空手部を引退した事でかなりの開放感を感じていましたから、それを自主練の最中にも感じてみたくなったのです。



このように空手部引退後も自分は自主練を続けてしまいました。その理由は上記の通りですが、その理由はもう一つあるような気がします。それは当時の自分がこう思いたがっていた事です。


「自分は空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


そう、この話は以前にもさせて貰いました。実際には自分は空手部の3年間で体力など全く付いていませんし、それどころか鬱は3倍に悪化しています。しかし、当時の自分がそれを認めるのは到底無理な話だったのです。自分は空手部の3年間で少なくとも「中指の拷問」2回分の精神的苦痛を受けています。これにより、鬱は3倍に悪化しました。自分は多大な時間とエネルギーをこの空手部の3年間に捧げていましたし、さらに心身の健康までも捧げていたのです。ここまでの犠牲を払って得たものが何も無いと分かったら、自分は発狂してしまいます。しかし、実際にはこの3年間で自分は何一つポジティブなモノを得ていませんし、それどころか、自分が最も望まない結末(心身を壊す、自信を無くす)に向かって、必死に必死に頑張り続けた3年間なのです。これを知ってしまったら、当時の自分は発狂どころの話では無かったでしょう。ですので、当時の自分は空手部の3年間をこう評価したのです。



「自分はこの3年間必死に必死に空手をやって来た。しかし、『自分を変える』という当初の目的は、もしかしたら何も達成されていないのかもしれない、、、、、。」



この評価は「玉虫色の評価」でした。「もしかしたら〜〜〜〜〜かもしれない」と書く事で、逆に「目的を達成した」可能性も残す事にしたのです。このように当時の自分は空手部の3年間を評価したのですが、そこに何かポジティブなものを得られた可能性を残してしまいました。この事が、先程の気持ち、


「自分は空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


に繋がっているんですね。そして、自分は「体力が付いたのなら、その体力を使って自分の居場所を見つけたい!!」と考え、大学3年生の後期からロックダンス教室に通い始めたのです。同様の流れで空手部引退後も自主練を続けてしまった、という事になります。






今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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