皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 歩きながらトラウマを思い出す事による凄まじい没入感②(2008年3月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」を試しにやってみた、という話でした。「トラウマ歩き」とは、歩きながらトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。
ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。お試しの「トラウマ歩き」がどのようなものだったか、という話になります。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。
『前回記事からの引用』
そこで自分は歩きながら、大学空手部時代の記憶を思い出してみました。大学空手部時代といえば、自分の人生の中で最も酷いトラウマの一つであり、この3年間で自分の鬱はさりに3倍悪化していました。この大学空手部の3年間は、自分の鬱の中核を成していました。
自分が歩きながら大学空手部時代の記憶を思い出すと、自分の目の前には一気に大学空手部の道場の情景が広がりました。当時の自分は、大学空手部の練習の厳しさを乗り越える事がまるで出来ず、被害妄想を悪化させ、「練習に殺されるのではないか」という恐怖にのたうち回っていました。そんな当時の自分の恐怖が一気にそのまま脳内に蘇りました。自分は歩きながら顔を激しく歪ませました。
そう、記憶の中の精神的苦痛が酷ければ酷いほど、足は前に進まなくなり、歩くスピードは遅くなりました。時には足がほとんど前に進まず、異常な程の遅さで歩く事もありました。
このように歩きながら過去のトラウマを思い出すと、その没入感は凄まじいものがありました。この時の自分は実際には家の近所を歩いていたのですが、自分の脳内に映っていたのは、大学空手部の道場でした。自分は歩きながら必死に必死に当時の恐怖を思い出し、必死に必死にそれに耐えました。この日だったか定かではありませんが、歩きながら号泣する事もよくありました。
トラウマを思い出しながら、歩いているとあっという間に2時間が過ぎました。自分は記憶の区切りのいい所まで思い出し、その日の歩きは終わりました。結局この日は、深夜アニメの感想で40〜50分、トラウマ歩きで2時間、計3時間近く歩いた事になります。途中で休憩は一切ありません。ただひたすら歩き続けた3時間だったのでした。
『引用終わり』
このように自分はお試しの「トラウマ歩き」を終えました。終えてみての感想としましては、まずは「没入感がすごい!」でした。歩きながら大学空手部時代のトラウマを思い出すと、まるで14年前にタイムスリップしたかのようでした。自分の目の前には大学空手部の道場や大学構内が鮮やかに蘇り、当時感じていた恐怖もそのまま蘇ったのです。
実際にはこの時の自分は家の近所を歩いていたのですが、「トラウマ歩き」の最中はその事をすっかり忘れていました。そして、時間が経つのも忘れていました。とにかく凄まじい没入感だったのです。
もちろん自分は「トラウマ歩き」の最中に凄まじい精神的苦痛にも襲われていました。大学空手部のトラウマは自分の鬱の中核を成しているトラウマです。それを思い出すという事は当時の「殺されるかもしれない恐怖」と「孤独感」と「絶望感」と「虚無感」と「無力感」を思い出すという事でした。自分は精神的苦痛で激しく顔を歪ませながら、歩き続けました。
しかし、2時間の「トラウマ歩き」を終えると、ほんの少しですが、スッキリした感じもありました。心の中の1/500くらいはスッキリした感じです。また、以下のような達成感もありました。
「あの思い出すのもおぞましい大学空手部の殺されるかもしれない恐怖を、2時間に渡ってよく思い出し続けたなぁ。」
この達成感も心の中の1/500くらいで発生していました。
しかし、ここで重要なのは「トラウマ歩き」によってトラウマが消化出来たのかどうかです。自分はトラウマ歩きを終えてこれを考えてみましたが、「よく分からない」という印象でした。確かに没入感は凄まじものがありましたし、スッキリ感や達成感もありました。しかし、スッキリ感や達成感は心の中の1/500くらいしかなく、本当に発生しているのか分からないレベルの微細な感情だったのです。
ですから自分は1回目の「トラウマ歩き」を終えると、これを続けるかどうか、悩ましい気持ちになったのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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