鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

大学生だけどお喋りが3歳児(過去編・1997年4月頃・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「言語化による記憶の整理整頓効果(過去編・1997年4月頃・21歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、言語化による記憶の整理整頓効果について考えてみました。そして、自分が自分の健康状態さえ把握出来なくなっていった、その経緯について書いてみました。自分は小学校3年生以降日々の出来事を全く言語化をしなくなってしまいましたから、自分の健康状態に関しても全く言語化する事がなくなり、結果それを把握する事が出来なくなってしまったのです。(この場合の言語化とは「お喋り」もしくは「書く事」を指しています。)ですから自分は大学3年生の4月にカウンセリングを受け始めたのですが、そこでも自分の健康状態を説明する事が全く出来なかったのです。そう、あの時の自分は以下の鬱の諸症状に日々苦しみまくっていたのですが、それにも関わらず、です。



「大学空手部時代の鬱の諸症状」


・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。
・慢性的な口内炎
・空手部の稽古中の喘息
・空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。




コピペ終わり



そして、当時の自分が辛うじて認識出来ていた事は以下の4つになります。



①自分が大学内で完全孤立している事


②空手部練習前の離人


③何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事


④自殺願望



これら4つに関してはうすらぼんやりとは認識出来ていました。しかし、「うすらぼんやり」ですから言葉で説明する事が出来ません。ですから自分は「自分の鬱状態」に関しても、「うすらぼんやりと認識出来ている事」に関しても、何一つ言葉で説明する事が出来なかったのです。ですから、カウンセリング初回はただただ号泣し続けるしか出来ませんでした。そして、2回目の前半30分も泣いていたのです。流石に後半に入りますと、涙が止まってきまして、ようやく自分は喋れるようになってきました。しかし、これまで書かせて貰っていますように、上記の事柄に関しては全く言葉で説明する事が出来ません。




そこで自分は最近の空手部の辛さについてホントにたどたどしく喋り始めた記憶です。何故空手部の話だったかと言いますと、それが一番思い出し易い記憶だったからです。そう、空手部に関する記憶は、現在進行形で進んでいる話であり、記憶の言語化を全くしてこなかった自分でも流石に思い出せる話だったのです。例えば「昨日の練習の辛さ」だとか、「先月の春合宿の辛さ」だとか。ここら辺の記憶は最近の出来事でしたので、記憶が超カオス状態の自分でも流石に思い出して喋る事が出来ました。




ただし、そのお喋りはホントにたどたどしく、一言喋っては10分黙る、くらいのペースだった記憶です。そりゃそうです。何度も書いていますが、自分は小学校3年生以降身の回りで起きた出来事を一切喋ってきていないのです。しかも小学校3年生「以前」だって大して喋っていません。つまり生まれてこの方、全く「お喋り」の訓練を積んでいないんですよ。そんな21歳の自分が急に最近の空手部の辛さをペラペラ喋れる訳がありません。もうホントお喋りに関しては「赤ん坊のよちよち歩き」のようなものです。しかも厄介な事に自分は高校時代に鬱を発症し、それは大学空手部の2年間でさらに悪化した状態でもあったのです。心身ともに壊れていました。そりゃ余計に上手く喋る事など出来ません。ホント大袈裟ではなく、一言喋っては10分黙るみたいな事はザラに起こっていた印象です。そして、涙こそ止まったものの、まだまだ泣きそうになる感覚は残っており、一言喋るごとに泣きそうになる感覚にも襲われていたように思います。いや〜、思い返してみますと、この場面が自分の人生におけるお喋りの最初の一歩でしたねぇ。




以前の記事でも書きましたが、カウンセリングの素晴らしかった所は、先生がホントに辛抱強く自分の言葉を待ってくれた所です。自分から言葉が出るまで10分でも15分でも待ってくれました。先生が自分を急かすような事は全くありませんでしたし、自分の気持ちを先読みして言うような事も全くありません。ただひたすらに辛抱強く自分から言葉が出るのを待ってくれたのです。あれは最高に有り難かったです。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!






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