鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

大学空手部時代の言語化開始(過去編・2004年5月・28歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「「視界0mの超濃霧」=「記憶が超カオス状態」(過去編・2004年5月・28歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が28歳の時に過去の記憶をノートに書き始めた際の話でした。その際に自分は愕然としました。自分の過去の記憶が視界0mの超濃霧に遮られて、全く何も見えないのです。ここから先は前回の記事を貼りたいと思います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。


この「視界0mの超濃霧」は何だったのかという話ですが、自分はこれまでにこのような話を何度も書いてきています。過去記事から引用します。


『ここら辺の話は以前にもさせて貰いましたが、自分は幼い頃より日々の出来事や感情を全く言語化せずに成長してきました。自分は物心ついた頃にはそれらを親に喋るを諦め切っていたのです。そして、両親もそんな自分に全く興味を示しませんでした。ですから、自分が経験した日々の出来事や感情は全く言語化されないままだったのです。そして、言語化されなかった記憶は、全く整理整頓されませんし、感情の消化も全くされません。ですから言語化されない記憶は「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んで行く事となりました。



そして、「カオス状態」のまま沈んでいった記憶は、他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、さらに「カオス化」が進み「「超カオス状態」に陥りました。自分の記憶は幼い頃からずっとこの状態が続きました。こうなってしまうと記憶の中はぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃです。全ての記憶が混ざり合い、もはやどこに何の記憶があるのがさっぱり分かりません。これは記憶の「ゴミ屋敷状態」です。




ですから、自分の「日々の健康状態に関する記憶」も全てがカオス状態のまま記憶の海の底に沈んでいき、他の記憶と混ざり「超カオス状態」に陥ってしまいました。こうなってしまうと後からその健康状態の記憶を思い出す事が出来ません。つまり自分は「過去」の健康状態の記憶が全く思い出せない状態だったのです。「過去」の健康状態を思い出せないのですから、「現在」の健康状態が悪化しても、それに気付く事が出来ません。何故なら「過去の健康状態」と「現在の健康状態」を比較する事が出来ないからです。ですから、自分の健康状態は小学校3年生以降、どんどん損なわれていったのですが、当時の自分はそれに気付く事が全く出来なかったのです。



そして、自分は高校で鬱を発症し、さらに大学空手部の3年間で鬱は3倍悪化しました。しかし、鬱の悪化にも当然気付いていません。カウンセリングでもその辛さを全く喋れていませんでしたからね。ですから、大学空手部引退後、自分は上記の10の諸症状に苦しみまくっていたのですが、それを親に説明する事が全く出来なかったのです。なんかもうこうなってくると自分の人生は呪われてるとしか言いようがありません。どんなに心身が辛くてもそれを「辛い」と認識し、助けを求める事すら出来なかったのですから。』



上記のコピペにありますように、自分は幼い頃から日々の出来事や感情を全く言語化せずに生きてきました。故に自分の記憶は一切整理整頓されず、また時々の感情の消化も一切されず、それらは「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んでいく事となったのです。そして、「カオス状態」のまま沈んだ記憶は、他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、さらにカオス化が進みました。



このような状態が20年以上続いた結果、自分の人生における全ての記憶が、ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合い「超カオス状態」に陥っていたのです。こうなるともはやどこに何の記憶があるのかさっぱり分かりません。だって全ての記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合い、思い出すための手掛かりすら見つからないのですから。これは例えるなら、単語の意味が、五十音順ではなく全くランダムに並んでいる「辞書」のようなものです。こんな辞書は、書いてある中身は辞書ですが、全く辞書としての目的を果たせません。自分の記憶も後から全く思い出せない状態に陥っていたのです。



つまり、自分が過去を振り返った際に見た「視界0mの超濃霧」の正体は、「超カオス状態」の記憶だった、という事になります。そうなんですよ。自分の全ての記憶は、ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合っていたので、過去を振り返っても何がなんだかさっぱり分からなかったのです。ですから、それが「視界0mの超濃霧」に見えたんですね。最初自分はそれを見た時愕然としました。だって自分の過去の記憶が「超カオス状態」に陥っていて、全く何が何やら訳が分からないのですから。



なるほど〜。このようにノートを書き始めた頃の自分の記憶は「超カオス状態」に陥っており、自分の過去を全く振り返れなくなっていました。しかし、ここで立ち止まっていては、以下の謎を解く事は出来ません。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


そこで、自分は過去の記憶の中から最も思い出し易い「骨組みの記憶」から思い出し始めました。そう、記憶が「超カオス状態」に陥っていても、基本中の基本の記憶は流石に思い出す事が出来ました。それらの記憶は以下の通りになります。


・「大学では空手部だった」

・「中学、高校は吹奏楽部だった」

・「大学時代に通算6年間カウンセリングを受けていた」

・「どこに行っても友達を作れなかった」


自分は上記の記憶を確認した上で、細かい記憶を思い出し始めました。まずは大学空手部の記憶から思い出していきましたね。やはりあの3年間こそが自分の鬱の悪化を決定付けた期間であり、ネガティヴな意味で最も印象深い期間だったからです。ですから上記の謎を解く為にはこの期間の言語化が最優先でした。




そこで、自分は空手部の記憶を思い出し始めたのですが、これがまぁキツいのなんの。辛い記憶しか出てこないであろう事は予め予測出来ていましたが、それでもまぁキツかった記憶です。ホント、トラウマofトラウマな記憶しかない3年間でしたからね。



当時の自分はこの3年間病的(×3倍)な「被害妄想」状態にあり、「自分は空手部の稽古で追い込まれ過ぎて、殺されてしまう!!」と、連日連夜死の恐怖に怯えまくっていたのです。そして、その恐怖で夜眠らなくなり、睡眠不足が悪化し、鬱はさらに悪化。こんな状態で周りとコミュニケーションが取れるはずもなく、大学で徐々に孤立していったのでした。




ではここでいつもの「大学空手部時代の12個の鬱の諸症状」 を貼りたいと思います。いつもお読みの方はスルーして下さい。


「大学空手部時代の12個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑨慢性的な口内炎

10空手部の稽古中の喘息



11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、自分はさらに「自分に対する自信」を失っていった。これにより「被害妄想」は逆に酷くなり、「自分は人間サンドバッグの稽古中に先輩達に追い込まれ過ぎて殺されてしまう!!」という凄まじい「死の恐怖」となってしまった。これにより夜全く眠れなくなり、さらに鬱が悪化。これが自殺願望発症へと繋がっていった。この自主練は「無意識の自傷行為」とも言える。自主練の内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度。頻度は通常は週1回、夏休み・春休みは週3回。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



12 「空手部を辞める」という選択肢が全く無い中、引退までの3年間をただただ耐えるしか無い。しかし、①〜11の諸症状に苦しみながらの空手部の日々は全くもって遅々として進まなかった。それは例えるなら「匍匐前進で日本列島を縦断する」くらいの途方の無さ。自分は時間の進まなさに何度も絶望し、無力感を募らせていった。



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら


おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』



自分の空手部時代は上記の諸症状に、ただただ七転八倒しただけの3年間です。ただし、自分がノートを書き始めた当初は、上記のコピペのような詳細な表現は全く出来ていません。ただただぼんやりと「人間サンドバッグホントに辛かったなぁ、、、」とか「合宿ホントにキツかった、、、」とか書いていただけだったと思います。ノートを書き始めの頃は、自分が長年「鬱状態」にあった事すら、まだ気付いて無かったですからね。



それでも当時の自分にとって空手部時代の記憶を一文字一文字書いていく行為は、とても新しい経験だった記憶です。もちろん、トラウマ塗れの空手部時代を思い出していく事はただひたすら辛い事ではありました。あの頃の死の恐怖に怯えた日々を再体験するのですからね。ノートを書いていて何度泣いたか分かりません。




しかし、一方では超濃霧状態だった空手部時代の記憶が、文字に置き変わっていき、徐々に鮮明になっていきました。自分はそこに少なからず知的興奮を感じていた記憶です。文字にしてみる事で「なるほど〜」と納得出来るんですね。「やっぱり大学空手部のあの3年間は最悪の最悪の3年間だったんだなぁ、、」、と。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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