鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

自動車学校の次はタップダンス(過去編・1999年6月・23歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「自動車免許を取るも一瞬でペーパードライバーに(過去編・1999年6月・23歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が自動車免許をなんとか取った、という話でした。時期は1999年7月頃です。そう、自分は2つ目の大学に入学し直したのですが、3ヶ月後には早くも大学内で孤立していました。クラスの人間関係からは脱落していましたし、手品サークルも辞めてしまったからです。そこで自分は半年前に休学していた自動車学校に通い直し、なんとか自動車免許を取ったのでした。



さて、その後の自分がどのような生活を送っていたのかという話ですが、以前の記事の中で自分がタップダンス教室に通い始めた話をさせて貰いました。そう、それは遡る事1年程前の事です。まだ1つ目の大学に在籍しています。自分は空手部を引退した後、居場所を求めて習い事やバイトに挑戦していきました。その流れの中でタップダンス教室にも通ってい始めたんですね。通い始めた時期は1998年の5月頃だった記憶です。この時期にはファミレスバイトも始めています。そして、ここから週1回のペースでタップダンスを習い始めたんですよ。懐かしいですねぇ。ダンス教室は新宿駅から歩いて10分くらいの所にあるダンス教室でした。




習い始めてみますと、タップダンスはロックダンスよりは落ち着いたクラシックな感じのダンスで、自分に合っている感じがしました。そう、ロックダンスはお洒落な若者がやるようなダンスでしたが、タップダンスはそれよりかは落ち着いている感じのダンスでしたからね。しかも、タップダンスで使われる曲の中で「A列車で行こう」という曲があったのですが、これって自分が吹奏楽部時代に吹いた事がある曲だったんですよ。これには自分的にけっこうテンションが上がった記憶があります。自分の馴染みの曲でタップダンスが出来るというのは、なかなか嬉しい感じでした。そんな感じで自分にはロックダンスよりタップダンスの方が性に合っている感でしたね。そこで1年通ったロックダンスを辞め、タップダンスに専念する事にしたのでした。これが1998年の6月頃の話になります。




ですから、1998年6月〜10月の間の自分の生活は、タップダンスに週1回通いつつ、ファミレバイトを週3回って感じになります。これはけっこう肉体的・精神的にキツかった記憶です。だってこの頃の自分は「鬱の廃人」状態ですからね。自分は背中の疲労感をはじめとする9個の鬱の諸症状に苦しみ続けていたのです。以下いつものコピペになります。


「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「自主練」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」

この体力を生かすべく週3回のトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


しかし、空手部の頃と同様にトレーニングをしても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。


おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』




そうそう、ですから当時の自分は、週1回のタップ、週3回のファミレスバイトに加えて、週3回トレーニングもしていたのです。こんなん完全にキャパオーバーですよ。そりゃどこ行ったって、上記のおまけの状態な訳です。ですから、自分はタップダンスの練習中もおまけの状態だったのです。背中の激痛と鼻水ズルズルとめまいに耐えながら、タップダンスの練習をしていました。そんな生活が3〜4ヶ月続いた後、自分はファミレスバイトからフェードアウトし、自動車学校に通い始めます。しかし、そこも1〜2ヶ月で休学し、大学を中退し、新しい大学に入り直す決意をした、という流れになります。これが1998年の11月頃ですね。ここから自分はタップダンスをお休みして、2〜3ヶ月間受験勉強に専念しました。そして、翌年の2月に大学に合格し、4月から新しい大学生活を開始。ところがこれも3ヶ月後には破綻、と。これが1999年の7月頃の話になります。




そんな感じで新しい大学生活は開始3ヶ月後には早くも破綻してしまいましたから、自分は新たな目標を求めて自動車学校に通い始めました。そして、なんとか免許を取りました。その後自分は新たな目標を「タップダンス」に定めたのです。そう、受験勉強を機に離れていたタップダンスを本格的に頑張ってみようと思ったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!






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