皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「古本屋バイト時代の鬱の諸症状(2002年4月〜2003年4月・26歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は自分の古本屋バイト時代の鬱の諸症状についてでしたね〜。食欲が全く無く、背中の疲労感が酷かったという話でした。とりあえず当時の鬱の諸症状をまとめた例のコピペ貼らせて貰います。
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
・離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常にず〜っと訳もなく物悲しい
(大学入って鬱が3倍酷くなった話 より)
それで背中の酷い疲労感についてですが、前回の記事で「背中の疲労感が酷いせいで仕事中の1分1秒が過ぎる時間がものすごく遅く感じました。それは『永遠に今日の仕事時間が終わらないのではないか?』と思える程だったのです。」と書かせて貰いました。そう、当時の背中の疲労感はホントに酷くて、もはやそれは酷い痛みとなっていたんですね。ですから背中の酷い痛みのせいで仕事中の集中力や思考力の90%はそれに削がれていまして、意識朦朧とした中で古本の処理作業などを行なっていた記憶です。そして、辛うじて残る10%くらいの意識は「仕事が終わるまで、まだ○時間もある、、」という嘆きと、店長への恐怖感で占められていました。
当時の鬱の諸症状でもう一つ思い出すのは「酷い冷え性」です。これを特に感じるのは冬ではなく夏でした。そう、夏になると当然お店としては来てくれるお客さんの為にエアコンを付けるのですが、自分はこれが寒くて寒くて仕方なかったのです。もう鼻水はダラダラでティッシュが手放せません。お店に店員は自分1人しかおらず、エアコンの設定は自分で操作できましたから、設定温度を限界設定の29度とか30度まで上げるのですが、それでも自分は寒くて仕方がなかったのです。そしてこれ以上はエアコンの設定温度は上げられず、かと言ってエアコンを切ってしまったら客商売のお店としては有り得ない暑さになるしで、すごく苦慮しました。今から考えると「真夏でエアコンの設定温度が29〜30度」も、ほとんどの客さんが暑く感じる室温だったのではないかと思います。
それでね〜、当時の自分もこのような体調の酷さは認識していまして、これをどうにかしたいと強く思っていたんですよ。これらの体調不良は空手部引退以降どんどん酷くなっていきましたから、その頃から「どうすればこの体調不良が良くなるのだろう?」と考え続けていました。ただ当時の自分はこれらの諸症状が「鬱」由来だとは全く気付いていません。ってかそもそも自分が「鬱」であるとも思っていなかったと思います。そう、ですから当時の自分はこの「体調不良」を単なる体力不足だと捉えまして、「体力不足なら外を走ったり、筋トレしたり、ストレッチをすれば解消されるのでは無いだろうか?」と考えました。一般的にも体力不足の解消=運動ですもんね。それで家の周りを30〜40分ランニングしたり、筋トレしたり、ストレッチしたり、していまして、これらをやる気がある時は週3くらいでやっていました。ただね〜、自分の場合悲しい事に運動をやればやる程体調が悪くなっていったのですよ。ランニングとか筋トレをした翌日はさらに身体が重くてダルくて体調も酷くなっていました。そこで自分は「運動中の身体にかかる負荷を減らせば翌日の体調不良が起こらないのでは?」と考え、徐々に走る距離を減らしたり筋トレ量を減らしていったりもしたのですが、それでも翌日の体調不良は解消しませんでした。結局空手部を引退して3年後くらいにはランニングや筋トレは辞めてしまいましたね。それでね、その後自分はまだ諦めきれず、「もしかしたら、ストレッチなら身体に負荷がかからず、体調不良も起こらないのでは?」と考えまして、ストレッチのみをやってみた時期もあるのですが、驚く事にストレッチのみの場合も翌日の体調が滅茶苦茶崩れてしまったのです。起きてみると身体は悲しい程重く、疲れ切っていまして、鼻水も超ダラダラ。そして、そんな状況で古本屋バイトに行く事がよくありました。
そう、このランニングや筋トレやストレッチをどんなに一生懸命やっても一向に体調が良くなっていかない現実、これもまた自分の鬱を酷くしていったと思います。(他にも健康食品や飲んだりもしていましたが、全く効かず)運動をやってもやっても体調が良くなっていくどころか悪くなっていきましたからね。この「自分の努力が実を結ぶどころか、180度真逆の結果を生んでしまう感じ」、この感じは空手部時代に散々経験した訳ですが(〜鬱と青春〜大学時代の鬱の諸症状⑤ )、ここでもまた同じような状況が起こっていました。そう、これにより「自己効用感」とは真逆の「非自己効用感」が莫大に発生していたと思います。そしてこの「莫大な非自己効用感」が自分の鬱をますます重くしていったのでした。(調べてみましたら、今は「自己効用感」ではなく「自己効力感」と言うみたいです。「自己効力感」のwikiはこちら)
あともう一つこのランニングをしている時に印象に残っている事があるのですが、ランニングをしている最中自分はこう思っていたんですよ。「あぁ空手部時代もこうやってよくランニングをしていたけど、今はあの時のような死の恐怖からは解放された状況でランニングが出来ているなぁ」、と。そう、この思いは特に空手部引退後の直後に強かった記憶ですが、大学空手部の3年間で自分は死の恐怖に晒され続けまして、鬱が3倍に酷くなってしまったんですね。(大学入って鬱が3倍酷くなった話 )そしてその死の恐怖は自分の身体に刻み込まれていましたから、空手部引退後もランニングをするとその恐怖が甦ってしまうのです。しかし、現実ではもう空手部は引退していますから、その実際的な恐怖は無くなっており、それを思い出す事で妙な安堵感というか開放感をランニング中に感じていた記憶です。そして、空手部引退直後はその安堵感や開放感を感じる為だけにランニングをするような事もありました。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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