鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングで合宿の恐怖を喋る(過去編・1997年9月・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部合宿における精神的ダメージ量は「中指の拷問」2回分(過去編・1997年9月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学空手部の合宿で受けた精神的ダメージが「中指の拷問」2回分に相当していた、という話でした。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)いや〜、自分が大学空手部の3年間で一番辛かった場面がこの合宿の時期なのですが、この時期に「中指の拷問」級の精神的苦痛を2回受けていたとは、、「なるほどなぁ」という感じです。時に自分はこのブログにおいて、大学空手部時代の鬱の諸症状のコピペを事あるごとに貼っていますよね。これ↓です。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』


コピペ終わり



上記の11個の諸症状は、自分がそれまでの21年間で受けてきた精神的苦痛が身体に反映した結果、なんですね。そう、幼い頃からの下記のネガティブ感情の膨大な蓄積が肉体的な症状として現れているのです。


孤独感、恐怖感、挫折感、無力感、虚無感


ですから、上記の11個の鬱の諸症状は、合宿で受けた精神的ダメージ(中指の拷問2回分)も反映している、という事になります。なるほど〜。いや〜、大学空手部時代の心の闇をまた一つ明らかに出来てこんなに嬉しい事はありません。素晴らしい。




さて、話は戻ります。話が寄り道してしまいました。話の本筋は、自分がカウンセリングで合宿の辛さを喋り始めた、という流れでした。時間を少し遡ります。自分は大学3年生の4月頃から大学内でカウンセリングを受け始めました。そこで生まれて初めて「自己開示」をしていったのです。しかし、それは遅々として進みませんでした。それは以下の2つの理由からです。



・一言喋るごとに「次にこんな事を喋ると先生に馬鹿にされるのではないだろうか?」という「不安」と「葛藤」が発生していた。


・そもそも記憶自体が超カオス状態に陥っており、過去の記憶であればある程思い出す事が実質不可能になっていた。



上記の理由により、自分は一言喋ると10〜15分黙り込んでしまうのです。ですから、中々話が前に進みません。このような状況の中で自分は少しずつ少しずつ自己開示をしていきました。最初に先生に喋った内容は、「自分が大学空手部内で最上級生(3年生)になったものの、最上級生らしく振る舞う事が全く出来ず、とても辛い」です。自分は空手部で副主将のポジションに就いたものの、後輩達と何を喋れば良いのか全く分からなかったのです。その後も自分は「自分がゼミで完全に浮いている話」や「クラスでも完全孤立している話」を少しずつ少しずつ喋っていきました。そして、季節は進み、夏です。この季節になると毎年自分の心は合宿への恐怖に完全に支配されていました。合宿が行われるのは9月の中頃ですが、自分は8月の初旬から、この恐怖に怯えまくっていたのです。その頃の自分は以下のような状態でした。以前の記事からの引用になります。



『故に合宿が始まる1ヶ月前の時点で、精神的苦痛が完全に心の許容量をオーバーしていましたね。完全に自分の心は恐怖感に支配され切っていました。合宿までの1ヶ月間は真っ黒なカーテンの中で膝を抱えて、ただひたすら体育座りしているだけのような日々でした。まるで死刑囚が死刑を待つような気持ちだったと思います。』



そこで自分は当然この気が狂う程の恐怖感をカウンセリングで喋りました。ただし、この話はこれまで喋ってきた話と比べると、葛藤は少なかった記憶です。何故なら合宿の恐怖感の話は「コミュニケーション能力」が余り関係ない話だからです。そう、それまでに自分が喋ってきた「大学内で居場所が全くない」話は「自分はコミュニケーション能力が劣っている人間です」と表明するに等しい内容です。これを自己開示するのはけっこうな抵抗感がありました。しかし、合宿の話はコミュニケーション能力はそんなに関係ない話です。ただひたすらに「合宿」と「合宿最終日の人間サンドバッグ」が恐ろしくて仕方がない、という話ですからね。




そんな感じで自分は8月の初旬頃から合宿の恐怖についてポツリポツリと喋り始めた記憶です。(大学が夏休みの期間も週1でカウンセリングに通っていました。)先程書きましたようにこの話は「大学内で居場所が全くない」話に比べると葛藤は少ない話です。しかし、だからといってスラスラ言葉が出て来る感じでも無かった記憶です。そう、自分が喋るペースは相変わらず、超スローペースだったように思います。だって合宿の事を喋ろうとすると凄まじい恐怖に襲われてしまうのです。葛藤は少ない代わりに今度は凄まじい恐怖が襲ってきます。自分はそれまでの2年半の間に合宿に4回参加していましたが、その4回の合宿で受けた恐怖が一気に襲い掛かってくるのです。




そう、当時の自分はその過去4回分の合宿の記憶をそれまで全く言語化してきていません。当時の自分はこの記憶を誰にも喋ってきていませんでしたし、書く事も全くありませんでした。故に凄まじい恐怖の記憶は、カオス状態のまま記憶の海の底に沈んでいき、他の21年間分のカオスな記憶と混ざり合い、よりカオス化が進んでいっていたのです。こうなると後から思い出すのはかなり困難です。以前にも書きましたが、4〜5m重なったゴミ屋敷のゴミの地層から任意のモノを見つけ出そうとするようなものですからね。ですから自分はカウンセリングの先生に合宿の恐怖を喋ろうとするのですが、上手くそれを喋る事が出来ません。過去の合宿の記憶を詳細に思い出せないのです。そう、自分の心の中にうすらぼんやりとした圧倒的恐怖が存在している事は、認識出来るのですが、それを言葉で表現する事が全く出来ないのです。そう、現在の自分(2021年7月)は直近の6記事の中で当時の自分が感じていた合宿の恐怖を書いてきました。しかし、当時の自分がカウンセリングで表現出来た恐怖の量は、あの文量の1/50くらいだった印象です。あんな詳細で的確な表現、当時の自分が出来るはずがありません。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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