鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶のサルベージにより空手部の印象が180度真逆に(2004年9月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「若かりし頃の両親の写真を見て号泣(2004年9月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は自分が若かりし頃の両親の写真を見て、号泣したという話でした。写真の2人の穏やかな表情から感じる暖かみと、自分がこれまでの人生で感じてきた極寒の冷たさ、ここに圧倒的な温度差があったのです。自分の人生はただひたすら孤独にまみれ、鬱が悪化し、心身がぶっ壊れていくだけの28年間でしたからね。何故この善良で仲良さげな2人から産まれた自分が、自殺願望だけが心の支えの人生を送る羽目になってしまったのか、自分はそれが不思議で仕方がありませんでした。それと同時に人生の理不尽さに涙が止まらなかったのです。あれは衝撃的でした。この「何故この暖かさそうな2人から産まれた自分が、ただただ孤独で極寒の人生を送る羽目になってしまったのか?」という大いなる謎ですが、これは記憶のサルベージだけでは解き明かせない謎でした。何故なら自分の人生だけでなく、両親の人生も関わってくる謎だったからです。ですので、自分はこの謎を記憶のサルベージのみで解き明かす事はできませんでした。先の話になるのですが、自分は記憶のサルベージを終えた後、超紆余曲折を経まして、今度はうちの両親がどのような人生を送ってきたのかをそれぞれから詳細に聞いていく事になるんですね。この作業もまた膨大な時間がかかる作業でした。まず自分は自分自身の人生を詳細に親に語っていき、それと同時に親の人生を詳細に聞いていったのです。その中で自分がこの謎をどう解き明かしていったのか、かなり先になるとは思いますが、いづれここら辺のお話も出来ればと思います。




さて、ここで自分が記憶のサルベージ初期に衝撃を受けた事柄を改めてまとめてみたいと思います。


・自分の過去を振り返ろうとすると、視界0mの超濃霧状態で全く自分の過去を見えない。(過去を振り返ろうとするも視界0mの超濃霧状態で後ろが全く見えない(2004年4月頃・28歳))


・自分が高校以来食欲が全く無くなっている事に気付き、自分が長年鬱だった可能性に気付く。(高校時代以後食欲が一切無くなっていた事が異常だったと気付く(2004年9月頃・28歳))


・自分が長年鬱だった可能性が出てきた事で、「自分は本質的に極度に劣っている人間なのでは?」という思いが若干薄らぐ。(自分が長い間鬱であった可能性が出てきてホッとした(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生以前の記憶と、小学校3年生以後の記憶とでは、明らかに色合いが違う事に気付く。小3以前はフルカラーなのだが、小3以降は灰色一色。( 小3以前の記憶⇒フルカラー、小3以降の記憶⇒灰色(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生付近の記憶を引き揚げてみると、小学校3年生以降自分の家庭が戦争状態に突入した事を思い出す。(小3を起点とする記憶の色の違い=小3時の家庭環境の急激な悪化(2004年9月頃・28歳))


・若かりし頃の両親の写真を見て号泣。(若かりし頃の両親の写真を見て号泣(2004年9月頃・29歳))



いや〜懐かしいですねぇ。記憶のサルベージを初めてから上記のような衝撃的な事柄を発見する事ができました。自分自身の事にも関わらず、全く知らなかった超重要事項が次から次に記憶の海から引き揚げられていったのです。ですからね〜、次から次に自分に関する興味深過ぎる衝撃的な事柄が引き揚げられていきましたから、ある意味では知的好奇心が満たされていく感覚もありました。自分が何故このような鬱まみれの人生を送らねばならなかったのか、少しずつ謎が解けていく感覚もあったのです。そう、それは自分自身が主人公のミステリー小説を読んでいくような感覚です。自分自身が主役のミステリー小説が面白くない訳ないですよね。ただし記憶のサルベージによって引き揚げられる記憶の数々はほとんどがトラウマ級の辛い思い出でしたので、それを詳細に言語化し再体験し続けるのは拷問のように辛い事でした。しかし、一方ではその辛さに耐え、事実関係を整理し、因果関係を繋げていくと、自分の人生の謎が少しずつ解けていく感覚もありましたから、辛いながらもとてもやり甲斐のある作業でもあったのです。非常に面白いパズルを解いているようでもありました。




さて、先程書いた「トラウマ級に辛い思い出」ですが、その代表として真っ先に思い浮かぶのが大学空手部の3年間の思い出です。まぁあの3年間は「トラウマ級」ではなく、「トラウマ」そのものな訳ですが。そう、自分が記憶のサルベージを初めてから、真っ先に具体的な記憶を思い出し始めたのが、この空手部の記憶でした。サルベージを初めて間もない頃、「自分の人生は何故鬱がひたすら悪化していくだけの人生だったのか?」という問いを自分に投げかけたのですが、その際真っ先に思い浮かんだのがこの3年間だったのです。そして、具体的に空手部当時の記憶を引き揚げていったのですが、予想通り次から次に鬱な記憶が出るわ出るわ、鬱な記憶のオンパレード。中でも象徴的なものは何度も書いていますが、「人間サンドバックによる死の恐怖」です。詳しい話はこちらをご覧下さい。



空手部時代の話
空手部時代の話②
空手部時代の話③
空手部時代のとある先輩の話
空手部の優しい先輩達
空手部とコミュニケーション能力

大学時代の鬱の諸症状
〜離人感と冷え性〜
〜慢性的な疲労感と眠気〜
〜自殺願望と救い〜



ホントあの人間サンドバッグの恐怖のせいで自分はどんどん眠れなくなっていきました。練習の前夜になると「明日の練習で人間サンドバッグが行われるのではないか?」という恐怖に襲われ眠れなくなってしまったのです。さらに合宿の前夜が一番キツかったですね。合宿という閉鎖空間で1週間に渡って朝から晩まで練習が行われ、その中で人間サンドバッグが行われる事も確定していましたから、合宿前夜は恐怖で一睡も出来ませんでした。そして、合宿に向かうバスの中での自分は死刑場に引かれてる いく死刑囚のような気持ちでした。以前の記事の中で自分の鬱の原因は「孤独感」と「死の恐怖」にあると書きましたが、まさに「死の恐怖」はこの空手部で感じた「死の恐怖」でした。この空手部の3年間で自分は莫大な量の「孤独感」と「死の恐怖」に蹂躙され続け、結果自分の鬱は空手部入部前より3倍酷くなりました。




しかし、現在の自分は空手部の事を全く恨んではいません。確かに空手部を辞めた直後の自分はこの「人間サンドバッグ」という練習メニューを強いてきた先輩達を凄まじく恨んでいました。ところが、記憶のサルベージを始めてみますと、どんどん先輩達への恨みが無くなっていったのです。サルベージを初めたのは2004年4月ですが、空手部を引退してからすでに7年の月日が流れていました。記憶のサルベージにより、空手部時代の感情及び情景を引き揚げ、事実関係を特定し、因果関係を繋いでいった結果、自分はこのような結論に至りました。それは、「人間サンドバッグの恐怖により自分の鬱が3倍に悪化した責任は、人間サンドバッグを強いてきた先輩達にあるのではなく、その恐怖を周りの同輩や先輩達とコミュニケーションにより共有出来なかった自分自身のコミュニケーション能力の無さにある」、という事です。この結論もまた目から鱗な結論でしたねぇ。自分がこの結論をどのように導いていったのか、詳しい話はこちらの3記事(空手部時代のとある先輩の話空手部の優しい先輩達空手部とコミュニケーション能力)を読んで頂きたいのですが、この結論を導いた時の自分は「なるほど、なるほど、これはすごい結論が出て来たぞ!」と、自画自賛したくなったのを覚えています。だってこの結論によりこれまでの凄まじい恨みの気持ちが全くもってゼロになってしまいましたからね。この結論により自分の空手部先輩達に対する印象は180度真逆に引っくり返ってしまいましたから、我ながら「こりゃすげぇ!」と思ってしまったのです。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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